藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

間 ま

 


 間 ま
 間は時間的休止や空間的空白を意味するが、単なる空白ではなく、「間が持てない」
(=人との会話がとぎれたときに時間がうまく 扱えなくて、具合が悪い)ということ
ばもあるように、リズムと呼吸に大きく関係がある。
能、歌舞伎などの演劇、踊り、
音楽、話芸を批評する際のキーワードにもなる。音楽では演奏者の解釈によって間の
取り方が違うし、絵画では何も描かない余白の部分が全体に与える効果が重要となる。
一見、何もない無としての間が全体に大きな影響を与える
    (拙著私家版(2018)所収『日本文化概論Ⅳ―キーワード篇―』 p.6より)


 ノート
 有に対して無を対立的に設定するのは西洋的である。有を無でないもの、無を有でないものと設定するのは東洋的、仏教的である。間は有と有の間にある、次の有へと向かう前の静寂、停頓、充電時間である。緩急自在。動と静。そのあいだ。ま。トン、ト、ト、トン。   (間)スットン、トン。
 アメリカ映画を見ていると、特にアクションものは、考える隙を与えない。テレビCМも15秒単位に、売りたい商品とは関係のない、ただ興味を引く、奇妙奇天烈な映像を攻撃的にこちらに放ってくる。そこには間がない。振り向いてちょうだい、私きれいでしょ、よかったらこれ買って、ニコッ! 的なキャッチ商法、一種の精神的暴力、洗脳である。
 人は人生で、躍進するときもあれば、停滞するときもある。しかし、停滞も人生の間と考えれば、ひとまず苦茶でも入れて、自然の声、天籟(てんらい)に耳を傾けようではないか。有限の中の無限に思いを致そう。岡倉天心は『茶の本』  The  Book   of    Tea     でそんなことを言いたかったのではないかと思う。
                              
                               2022.5.17    火

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