藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

根回し  ねまわし

   

        根回し
    根回し
 会議などで何かを決める際に、異なる意見を持った者同士がいきなり集まると、なかなか意見の一致を見ないので、混乱を避けてあらかじめ意見の調整をして皆の合意を取り付けておくことを指して言う。会議などでは時間の浪費を回避し結論へ至ることができるが、政治の場で行われると、国民の目の届かないところで政策が決定されるおそれがあり、民主主義的でないと批判されることもある。基本は対立を避け、、皆の合意を取り付けようとする日本的な技術、知恵であると言える。


  ノート
 会議自体が既に決まっていることの全体的確認であり、討論という言葉による対立を善しとしない日本的文化が根底にある。西洋ではキリスト教の言葉を重んじる文化があるが、日本では対立よりは和合を重んじる文化があるので、いくら言葉や理屈で相手を言い負かしても納得しないところが日本人にはある。人間は、ユングによると、感情、感覚、理性、直感の総合であり、いくら理性的に正しくても、日本ではそれだけでは支持されない。青年の理屈好きも、やがて和を重んじる日本文化によって変化していくのが従来の形であったが、これだけアメリカ化が進んだ時代、自分の意に添わなければ鉄砲をぶっ放して相手を殺すということが当たり前のようになる時代が到来するかもしれない。
 『刑事コロンボ』が再放送されているが、犯人がすべて自分の意に沿わない相手を射殺するところから始まる。それを緻密な現場検証と理性的推理で犯人を追い詰めていくのがコロンボの腕の見せ所であるが、意に沿わない相手を射殺すること自体を問うことはない。道徳的には程度の低い前提によって成り立っている。犯人をさばくのは、内心の道徳ではなく、神に変わって制裁するコロンボである。コロンボは「神の似像」Die   Imago である。
                             
          2022.5.22   

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