藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本人について    国民性

   


  日本人について
   国民性
   ①日本人が集まると、年齢や社会的地位などの基準により、お互いの序列が意識され、それによって行動様式や言葉遣いも影響を受ける。序列が下なのに、同等のような話し方(ex.「行く?」「ある」などの普通体(‘plain style’)の話し方。)をすると、「ため口をきく」(「ため」は同等、同じの意味。)と言って批判される。もっとも、最近はそうしたことへの批判があるために、上下関係があっても丁寧体(‘polite style’)(ex.「行きますか?」「あります」などの話し方。)で話すことも多い。教師も学生に対して丁寧体で話すのが一般的である。
 ②欧米人は自分の意見を直接、相手に言って強く自己主張するのに対して、日本人は相手の気持ちや立場を察して、発言したり行動したりする傾向が強い。そのことと関係するが、日本人にはイエス・ノーをはっきり表明しない傾向がある。日本人のこうした傾向は日本人の同質性を重んじ、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統に基づくものと考えられる。
 ③日本人は人間と自然の調和を重んじる。建築や庭園の様式でも自然をそのまま生かして素材としていこうと努める。たとえ人の手が加わっていても、加わっていない自然のもののように見せることに注意を払う。その意味で、意識、人工を嫌う。もっとも、これは「和」の世界のことで、科学技術などは積極的に欧米のものを学び、西洋化によってかつての「里山」は荒廃し、原発問題も深刻さを増している。(日本人は「使い分け」に長けているようにも思える。)(拙著 私家版(2018)所収『日本文化概論Ⅳ―キーワード編―』より)


  ノート
 国民性というものは目に見えないものであるが、確かに存在する。もっとも、現在では、グローバリゼーションによって、国民性が平準化されていっている傾向が強い。気をつけないと、拝金主義によって、凡てが決定され、かつての良き国民性が無くなっていくことになる。自由や平等も単なる言葉であるので、その内容については、吟味する必要がある。厳しく言えば、欧米モデルはすでに破綻している。きれいごとは言うが、3パーセントぐらいの富裕層が他の者を合法的に支配することが行われている社会は、犯罪と自殺が増えていく。「富は徳の結果」という儒教的倫理観を内村鑑三は『代表的日本人』で述べている。そのかけらもないのが今の世界である。 


                                2022.5.25  水

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