藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

切腹  せっぷく

    

   切腹
    切腹とは武士が責任をとって自害(じがい)する方式のことである。平安時代に始まったと言われる。1970 年にノーベル賞候補と言われた、著名な作家である三島由紀夫が割腹(かっぷく)自殺した事件は日本人をも驚かせたが、日本人の中には自分の公的な考えを主張するとき、もっとも大切な自分の死によってその正当性を証明しようとする衝 動(しょうどう)の文化が存在するのかもしれない。


      ノート
 切腹行為について、千葉徳爾(1994)『日本人はなぜ切腹するのか』東京堂出版 は、「おそらくは狩猟・採集を基礎とした縄文期文化の中で成立したであろう原初の解剖学的知識、つまり生命の根源は腹部の内臓に存在する、という思考を基礎として次第に成り立ったのが、腹を切って内臓を実視し、それによってその生きものの考えかた、あるいは「心」を判断しようという方法であった。それが次第に発達したものが、ヒトが自分の真の心持を他に示そうとする具体的手段として、切腹という形式が発生し伝承されたというのが、切腹の史的文献を遡って得られた、本書の著者のもつ目下の仮説である。」(p.221)としている。さらに、これを初めて体系的に説こうと試みたのは新渡戸稲造であったと述べている(同)。
  新渡戸稲造は内臓に人の誠意、もしくは本心の存在を考えていた時代が日本人にあり、自己の本心を他に示す最後の手段として切腹が社会的に認定されていたのであり、それを実見する者はその誠意を了解したのであるとし、その証拠をバビロニア、アッシリア、ローマ、アフリカと言った、欧米人に比較的よく知られている土地での事例を列挙した。それは、当時、ギリシア人の文明を受け継がぬ民族は未開社会に属すると欧米人に考えられていて、新渡戸に武士道論をギリシア人と同様な文明の末流にさせたいという考えが存在していたからである(pp.128-129)と千葉氏はしている。
 「世界基準」「国際社会」というのは、欧米基準である。我々は未だにそうした時代に生きている。おそらく岡倉天心はそうした時代に逆らおうとしたのであろうと思う。天心は日本美術は西洋美術より深いと考えた。対立、闘争でない和合、調和の「麗しいアジア」を夢見た。


                               2022.5.28    土

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