藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

茶道  さどう・茶の湯

 

  茶道さどう・茶の湯
 来客の際の茶の入れ方や飲み方を様式化した作法で茶の湯ともいわれる。茶道では抹茶まっちゃという、日頃飲む煎茶とは異なる茶を主に使用する。少し普通より大ぶりの茶碗に粉末の抹茶を入れ、湯を注いで茶筅ちゃせん(竹でできた攪拌かくはんする道具)でかき混ぜて、泡立てて飲むのが作法である。安土あづち桃山ももやま時代の 16 世紀後半に千利休せんのりきゅうがわび・さびという簡素な 趣おもむきや「一期一会いちごいちえ」の精神を取り入れて、茶道を大成たいせいした。「一期一会」というのは一生にただ一度だけの出会いという意味で、もてなす側の主人はその客(人)との出会いを大切にするために、床とこの間まに飾る掛け軸や花、茶碗などの道具を心を込めて吟味ぎんみして用意する。一方、客は用意されたものから主人のもてなしの心を察さっし、感謝す。茶道の礼法には、武士の礼法や能の影響が見られ、日本の伝統的な礼儀作法に強い影響を与えた。形より心を重んじ、一期一会の精神で客をもてなすのが茶道の精神である。岡倉天心が日露戦争後に書いた『茶の本』は茶道を世界に紹介し、日本人の平和性、精神性の高さを西洋に伝えた本として有名である。(拙著 私家版(2018)所収『日本文化概論Ⅳ―キーワード編―』より)


  ノート
 宋代にあった中国の茶道は元代に絶えてしまう。柳田国男の「方言周圏論」を想起する。日本のガラパゴス化。それもだめになると、アメリカにいいように利用されて、日本のアメリカ化はどんどん進む。日本人の舶来好みは昔からのことで、永遠に変わることはない。もっとも茶道の「一期一会」の精神などは日本的なもので、引き継がれていくべきである。そのうえで、日本人は自らの歴史を他人の眼で見る必要がある。自らの歴史を相対的に見直すことのできる国民のみが世界で生き残れる。戦前の日本がすべての面で素晴らしい国だったなどという幻影の拡散をTikTokなどでよく見受けるが、努力もせず、社会の片隅にいて、金もなく、将来も見えず、何かに対して腹が立って仕方がない人間は容易に安直な排外主義者になってしまう。うっぷん晴らしをして一時的に爽快感を得たとしてもさらに強い刺激を求めてドツボにはまっていくのがそうした輩の習性である。自戒の念を込めて、記しておきたい。驕れる平家は久しからず。アメリカさんはまだ己の愚かさに気が付かない。その後を行く日本も気が付かないでは、日本の未来は明るいものではない。日本の未来は♫♪♫という歌があった。大丈夫か、日本 ニッポン !! 反省し、己を磨け!   チェスト―!!


                              2022.5.31    火

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