藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

春分の日

  

    春分の日
 3 月 21 日頃、昼と夜の長さが等しくなる。中国由来ではあるが、日本では自然をたたえ、生物を慈しむ日として、国民の祝日に制定されている。春分の日をはさんで前後 3 日づつ 7 日間を「春の彼岸 ひがん  」と言う。彼岸とは仏教で「あの世 よ、極楽 ごくらく」のことを指す。この期間には仏教信者でなくても墓参りをする。江戸時代からの習慣となっている。墓をきれいに掃除して、花や線香せんこうを供えて故人 こじん の冥福 めいふく を祈る日である。もっとも、最近は墓のない人も多く、「千の風になって」の歌のヒットのように墓の意味も問い直されていて、墓参りの習慣もなくなりつつある。墓参りは江戸時代の宗門改めと密接な関係があり、戸籍が仏教と関係なく存在している現在、人の最後も新たなあり方が生まれてきている。


   ノート
 江戸時代に、春分の日や秋分の日は、家族総出で墓参りするピクニック気分の楽しい日であったことだろう。「家」が中心で動いていた時代の「ハレ」の日であった。個人が中心の現代日本では、墓参りも徐々に形を変えつつある。本来、仏教では、墓の概念はなく、儒教によって墓は重要な死者と生者の接点として考えられた。日本では、江戸幕府、宗門改め帳にすべての人の名前を分類表記することとなったので、僧侶の権力は絶大なものがあった。僧侶が宗門改め帳に記載しないなら、人としての存在がないということになるのである。権力が宗教的権威と結託して、人々を管理しようとすることがある、いい例である。宗教が政治にすり寄り、宗教・政治の相互が利益を得ようとするのは、最近の話題にある通りである。もっとも「統一教会」の場合は、「在日差別」の問題があると思うが、マスコミはそのことを一言も報道しない。もうテレビマスコミ、新聞マスコミなどだれも信用しなくなっている。


                            2022.8.2     火

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