大晦日 おおみそか
大晦日
一年の最後の日、12 月 31 日を大晦日と言う。新年を気持ちよく迎えるために、昔は 畳
たたみ や障子 しょうじ の張り替えをこの日までにすませておき、帰省 きせい した家族も交じえ、一家団欒 いっかだんらん のうちに正月 しょうがつ を迎えたものである。夜の 12 時近くになると、全国のお寺で除夜 じょや の鐘を撞 つ き始める。仏教によると、人間には 108 の煩悩があり、除夜の鐘を 108 回撞くことにより、その煩悩を取り除くとのことである。人々は除夜の鐘の音を聞きながら、新年の健康や長寿、福徳を願って年越しそばを食べる。細く長く生きられるように。
ノート
12月31日の大晦日は一年の最後を飾る日で、特別な日である。一年を振り返り、反省する人。飲んだくれる人。正月の準備に追われる人。様々である。
楓橋夜泊 ふうきょうやはく
月落烏啼霜満天 月落ち烏 からす 啼いて 霜天に満つ
江楓漁火対愁眠 こうふうぎょか しゅうみんに対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇 こそ 城外の寒山寺
夜半鐘声到客船 夜半 やはん の鐘声 しょうせい 客船 かくせん に到る
月は沈んであたりは闇、カラスが鳴いて一面霜が降りそうな寒い夜
旅の寂しさに眠れないでいる私の目に、川岸のカエデの葉といさり火が赤々と
蘇州の町の郊外にある寒山寺からは
真夜中の鐘の音がこの船にまで響き渡ってくる、
大晦日、鐘の音といえば、盛唐、張継のこの詩を思い出す。寒山寺には、34年前に行った。寒山・拾得の像があった。鴎外が寒山・拾得について、小説を書いている。寒山寺のねきに楓橋がある。寒山寺の近くの土産物屋のおばさんがものすごい気迫で楓橋夜泊の詩を書いた掛け軸を見せつけたり団扇をパタパタあおいで売りつけようとしていたのを思い出す。三重県伊勢の二見が浦の伊勢茶を売りつけようとする気迫みなぎるおばさんとオーバーラップする。生活が懸かっているのだろう。大正時代のカフェの女給のように、給料なしで売り上げ歩合制なのだろう。目つきの真剣さでそれがひしひしと伝わってくる。
蘇州も変わったことだろう。蘇州駅で食べた鶏砂鍋 チーシャークオ(鳥の土鍋煮込み)がおいしかった。料理、味に勢い、力がある。大陸の力、歴史の力を感じた。
上有天堂 下有蘇杭 上に天国あり 地上に蘇州・杭州あり
蘇州・杭州は地上の楽園という意味である。蘇州・杭州は文化、文人の地。蘇州には、拙政園など名庭園が多数ある。『紅楼夢』の舞台となった庭園、拙政園である。やたら広くて橋や花崗石でできた、気を象徴化したようなオブジェ風の石柱がたくさんある。日本の庭園と異なり、エネルギーに満ち満ちている。中国は中国で、日本は日本で、そのままの文化でいいではないか。仲良くやっていこう。敵を知り己を知れば百戦危うからず。孫子。敵ではないし、敵になる必要もないが、外国のことを知って、さらに自分の文化も知る人は少ない。
2022.8.10 水