藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

動物        鯨   くじら

 動物
 鯨
 日本の捕鯨には 1200 年以上の歴史がある。日本最古の神話集である『古事記』にも捕鯨 ほげい の歌が収められている。昔は日本近海にも鯨が数多くいて、古代の原始的なモリ漁法でも十分、鯨が捕れた。江戸時代には和歌山県太地町 たいじちょう などの捕鯨基地も数カ所あって、栄えた。
 第二次世界大戦後、日本では食 糧 難 しょくりょうなん の時代があり、鯨はその際に重要な動物性タンパク源として日本人を飢餓 き が から救った。また鯨は「捨てるところがない」と言われるほど利用価値が高く、その油は工業用油や洗剤、化粧品の原料となり、歯や骨、ひげなどは工芸品に、筋すじはテニスラケットのガットに使われた。
 捕鯨を「野蛮」な行為として、暴力的に阻止しようとするシーシェパードとの関係で捕鯨が問題視され、テレビ等で報道されることがある。牛や豚は神の贈り物だから食べてもいいが、鯨を食べるのは「野蛮」だという考え方の根拠は何であろうか。明治時代の思想家 中江兆民 なかえちょうみん は人類にはその地域ごとのそれぞれの進化の道があり、西洋基準で一方的に決めた「野蛮」「文明」には優劣がないと言った。



  ノート
 太地喜和子という女優がかつていた。寅さん映画にもマドンナとして出たことがある。妖艶な役がはまり役で酒豪であったという。この人は太地町の出身であった。友達数人と酒に酔って自動車で海に突っ込んで、生涯を終えた。

 クジラ食についてはコミック『美味しんぼ』で取り上げられたことがあるが、クジラ食反対運動には政治、金、人種差別が強く関係しているようだ。
 宮沢賢治は「なめとこ山の熊」や「よだかの星」で生命が他の生命を犠牲にすることなしには生存できないことをテーマとして小説を書いている。賢治は菜食主義者であった。一日五合の玄米を食べたという。副菜が少なかったのだろう。日の丸弁当というのがあって、戦前の日本人は梅干しだけをおかずにして、米の飯をたくさん食べて栄養を補給したという。ご飯と漬け物と卵焼きだけの食事というのも日本人的で、時々食べたくなる。
 昭和30年代には、小学校の給食でクジラの揚げたのが出たことがある。大阪のおでんでは、クジラの舌をさえずりといって、おでんのネタの一つにしている。


                             2022.8.11     木

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