藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

地震      天災は忘れたころにやってくる。夏目漱石の門下生 寺田寅彦

   

              寺田寅彦


     地震
    この世の恐ろしいものの順位を日本人は冗談まじりに「地震、 雷かみなり、火事、親父」と表現した。地震は第一位に挙げられるほど被害が大きく、日本列島各地で頻繁に発生する。1923 年の関東大震災では約 9 万人が亡くなり、1995 年 1 月の神戸の大震災では死者・行方不明者 6427 名を記録した。2011 年 3 月11日の東北地方太平洋沖地震では死者・行方不明者は 2 万人以上にのぼった。このように頻発する地震の被害を最小限に食い止めるために、日本では地震予知の研究が進み、建造物にも世界最高水準の安全基準が設けられている。しかし、不思議なことに、日本人は日頃、地震の多いことをそれほど意識しているわけでもない。


   ノート
 「天災は忘れたころにやってくる」と言ったのは夏目漱石門下生の寺田寅彦。
1896年(明治29年)6月15日19時32分頃、マグニチュード8.2の明治三陸地震が発生した。地震の揺れに伴う被害はなかったが、発生から約30分後に三陸沿岸に大津波が来襲した。
 津波の高さは綾里(岩手県大船渡市)で38m超に達し、逃げ遅れた多くの住民が死亡した。死者は約22,000人に達し、特に岩手県の死者が約18,000人と多かった。また、流出や損壊した家屋は10,000棟以上にのぼった。https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/47/
 100年前にすでに明治三陸地震が発生し、三陸海岸に大津波が来襲しているのに東京電力は、かの地に原発を建設した。歴史に学ばないとはこのことだ。地震のないアメリカと地震多発の日本の国情の違いを無視した天を恐れぬ(天=自然とは人間が利用し尽くしていいものと考えている)、歴史に学ばぬ(=110年前の歴史に学ばない)、傲岸不遜な暴挙である。
 原発というのは、いかがわしいところがある。海や内海のある僻地に目を付け、原発建設による現金収入をその地域住民に訴え、住民同士が賛成派、反対派に分かれて争うことになり、その地域は疲弊する。そうしたことを東電や〇〇電力は繰り返している。
 都市部でのコンビニの深夜営業自粛を主張する者の声はテレビで聞いたことがない。そのくせ、コンビニのCMは花盛りだ。夜中、煌々と自らの医院の広告看板の電灯をつけている富裕層の開業医も何を考えているのかわからない。LEDなら消費電力が少ないからいいのか。
 「もったいない」という気持ちをテレビが推奨するのはまれである。フードロスの問題もたまにしか報道しない。テレビはCMのスポンサーで成り立っている。企業芸者のアナウンサーはそつがない。〇〇〇をぶっ壊せ! ぶっ壊さないといけないものがたくさんある。きょうはこんなところにしておこうか。



                             2022.8.25   木

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