藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

2   鳥羽伏見の戦い    慶応4年1月3日〈1868年1月27日〉- 1月6日〈1月30日〉)

               

             

               錦の御旗

2  鳥羽伏見の戦い    慶応4年1月3日〈1868年1月27日〉- 1月6日〈1月30日〉
 開戦時の旧幕軍は15000。薩長軍は5000。
 薩摩軍本営の東寺に「錦の御旗」が翻り、形勢が逆転する。「錦の御旗」は1867年10月、岩倉具視が大久保と品川弥次郎に作らせたもので、皇室伝来の宝物ではなかったが、「錦の御旗」の登場で、それまで乱闘とみられていた戦いに「官」対「賊」という、はっきりした大義名分が生まれることになる。日本人はこうした一方的なわかりやすさが大好きである。
 土佐藩は「官軍」の薩長軍に加わり、西国諸藩の軍勢も薩長軍になびいていく。


 一坂太郎(2017)『明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す』創元社pp.191-193 参照。


  勝てば官軍、負ければ賊軍。ともあれ、賊軍は嫌だ。「錦の御旗」の効果は抜群で、薩長の勢いが旧幕軍を上回った。岩倉具視は日本人の心性をよく知っている。孝明天皇岩倉具視ヒ素毒殺説もある。おそろしあ。ナームー。
                                                   2022.9.16     金

×

非ログインユーザーとして返信する