藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

(2014)『柘榴坂の仇討』(ざくろざかのあだうち) 中井貴一 主演

               

(2014)『柘榴坂の仇討』(ざくろざかのあだうち) 中井貴一 主演
 BS4で2022.9.15 夜に放送。浅田次郎による短編小説の映画化。
ストーリー
 彦根藩の下級武士・志村金吾(中井貴一)は、家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老・井伊直弼(中村吉右衛門)の近習に取り立てられる。直弼の人柄に惚れ込んだ金吾は、命に代えても直弼に仕えることを誓った。しかし、安政7年の桜田騒動の際、金吾は下手人・佐橋十兵衛(阿部寛)を追い、その間に直弼は水戸浪士たちに討ち取られてしまう。主君を守れなかった大罪を犯した金吾に対し、彦根藩は打ち首の処罰を考えたが、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、その代わりとして「水戸浪士たちを討ち、直弼様の墓前に首を供えよ」と命じる。仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、水戸浪士たちは見つからず、金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。失意に沈む金吾だったが、妻のセツ(広末涼子)に支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。
 桜田騒動から13年が過ぎた明治6年。既に彦根藩は存在せず、新政府の改革により武士も姿を消していた。しかし、金吾は13年前の命令を果たすため、ひたすら仇を探し続けていた。桜田騒動に関わった水戸浪士たちも江戸から明治へと時代が移る中で次々と死んでいき、唯一人生き残っていたのは、金吾がかつて追い詰めた十兵衛だけとなっていた。その十兵衛は既に刀を捨て、「直吉」と名を変え車夫として生きていた。
 司法省の役人となっていた金吾の親友・内藤新之助(高嶋政宏)は、武士としての矜持を持ち続ける金吾の姿を見て力になりたいと思い、かつて水戸浪士たちの取り調べを担当した元評定所御留役の秋元和衛警部(藤竜也)に相談を持ち掛ける。同じ武士として金吾の助力を快諾した秋元は、金吾に十兵衛の居場所を教える。金吾は即座に十兵衛のところへ行くが、その日、新政府は「仇討禁止令」を布告する。
 十兵衛の人力車に乗り込んだ金吾は、十兵衛が自分と同じように両親を失い孤独に生きてきたことを知る。人力車が柘榴坂を登り切ったところで十兵衛は車を止め、「自分を討ってくれ」と願い出る。金吾は自分の刀を与え、十兵衛に一騎討ちを願い出る。金吾と十兵衛は一騎討ちの末にもみ合いになり倒れ込み、十兵衛は再度自分を討つように願い出る。十兵衛を討とうとする金吾だったが、「命懸けで国を想う者を無下にするな」という直弼の言葉と「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という秋元の言葉を思い出し、十兵衛に「新しい人生を生きてくれ」と諭し、十兵衛はその言葉を聞き泣き崩れる。一騎討ちの後、十兵衛は自分を慕ってくれているマサとチヨの母子の元に戻った。一方の金吾はセツの元に向かい、これまで自分を支えてくれたことに感謝の言葉を伝え、共に家路につく。
 製作会社 「柘榴坂の仇討」製作委員会
松竹
配給 松竹
公開 日本の旗 2014年9月20日
上映時間 119分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 6億4400万円[1]
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プロジェクト 映画
2014年9月20日に公開(彦根藩があった滋賀県は9月13日に先行公開[2])された。同じ浅田次郎原作の『壬生義士伝』で主演を務め、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した中井貴一が仇敵を追い続ける彦根藩士・志村金吾役を、追われる敵役・佐橋十兵衛を阿部寛が演じている[3]。井伊直弼役を演じる中村吉右衛門は、1995年の主演映画『鬼平犯科帳 劇場版』以来19年ぶりの映画出演となる[3][4]。監督は若松節朗。




全国255スクリーンで公開され、20日・21日の2日間で観客動員8万6646人、興行収入1億38万9900円を記録し、映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第4位となった[。
(ウィキペディア閲覧)




  ノート
 「忠」をテーマとする仇討ち物。新政府の「仇討禁止令」布告に愚直に従う志村金吾(中井貴一)。仇の佐橋十兵衛(阿部寛)との和解。「忠」は「孝」=家族への愛によって止揚されたのか「忠」とは日本では、上の者の言うことには逆らわず、従うこと。「君、君足らざるとも臣、臣足るべし」が前面に出る。妻も夫に従う、おかしいと思っても従う。これが「忠」の日本的あり方である。中国では、「忠」は元来、その資格のある者に捧げるもの。湯武放伐論もあれば、「造反有理」もある。天皇への絶対服従は吉田松陰から始まり、元凶は吉田松陰だと福本和夫は言っている。
 この映画では、「忠」が「孝」で止揚されている。きれいごとのようで、あまり面白くない。「忠」足らんと欲すれば「孝」ならず、「孝」ならんとすれば「忠」ならずを描いてほしい。それがかつての日本の苦悩の一つのあり方だ。

                                                  
                                                                                                  2022.9.19       月

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