藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

言葉の分節性

  ニワトリに分節性はあるのか?  愚問だ。言葉の話をしているのだ。コケコッコー。
 三歩歩いたら、すぐ忘れる私に聞いたって、知らんがなあ。


 言葉の分節性
 言語学では、言葉の特徴を一、線条性 二、分節性 三、恣意性などだという。線状性とは言葉が時間に沿って進むことを意味し、分節性とは言葉が他との間を切って、離していくことを指す。
 線状性はわかりやすいが、分節性が翻訳語でもあることからわかりにくいだろう。
 例えば、「挨拶する」は「言葉を伴った声掛け」、「会釈する」は「言葉を伴わないで、軽く頭を下げること」。「ひょろひょろ」は「細いことがマイナスイメージの場合」、「ほっそり」は「細いことがプラスイメージの場合」。「たった」は「少なさを強調」し、「ほんの」は「少ないことを表現し、控えめな表現にも使われる」。佐々木瑞枝(2017)『何がちがう?どこがちがう? 似ている日本語』東京堂出版
 このように、言葉は現実を切り取って表現するが、価値や形の相違によって分断するのである。また、抽象的なものをあたかも存在するかのように提示する。「世界」「幸福」「死」「愛」「平和」「全人類」など。手に触れることのできないものを提示するのも言葉である。しかし「階級」という言葉のように、それまでの人々が現実を認識しなかった言葉を想像して、体系化する人がいる。「無意識」もそうだ。前者はマルクス。後者はフロイト。20世紀の二大発明はこの二つの言葉であると言った人がいる。
 言葉の分節性に気をつけながら、言葉を駆使して認識することの大切さを自覚し、生きていきたい。


                         
                        2022.11.25         金曜日

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