藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

酒にまつわる話  1

 


    酒にまつわる話   1
 酒は緩慢な麻薬である。アセトアルデヒド分解能力の劣る日本人は、ウィスキーのハイボールや焼酎のお湯割り・水割り、ビールを好む。アメリカ映画などを見ると、ショットバーでワンショットをグイっとあおる。『刑事コロンボ』を見ていても、昼過ぎから「何か飲みますか」と犯人の自宅のバーカウンターで聞かれて、コロンボが「職務中ですから」と断ると、犯人は「じゃあ、失礼して」とウイスキーをグラスに注いで飲むというのはよくあるシーンである。アメリカの金持ちは自宅にバーカウンターを持って、友人、知人を招いて、ホームパーティーをしてもてなすのが習慣のようだ。日本人妻は旦那の出張でアメリカへ行ったらホームパーティーをしないといけないから大変だろう。優秀だから大丈夫か。
 閑話休題、26歳から32歳まで東京にいて、よく飲んだ。今から35年から40年前の話だ。新宿の南口を左に出て、緩やかな坂を下りると、〇〇屋というスナック風の飲み屋があって、その前にはおでんの屋台があった。週に二、三日は飲んだ。〇〇屋のマスターは競馬が好きで、土、日は競馬ファンでごった返していた。ビールを主にして、日本酒も飲んだ。
 飲み屋というのは、憂さ晴らしと雑談の場で、その中にはいろんな人がいた。
 『ダーティ・ハリー』の中で“anybody   home  ?   ”と言う役をやったという巨漢の人がいたことがある。安岡力也がおでん屋の前にいたこともある。安岡力也はなくなったが、〇〇屋で飲んでいた人は今どうしているのだろうか。私は京都に帰って、定年後の生活をして三年が経つ。酒は若い時の伴であった。
 腎臓が弱いので、膀胱結石で50歳の時に手術をした。酒は飲まないほうがいいのに、飲み続けた。30歳から50歳まで、三か月に一回ぐらい、茶褐色の尿が出た。腎臓でできた小さい石が尿管を傷つけ、血が出るのである。医者の誤診で、やぶ医者は「みんな血が出る」などということを言った。いい加減なやぶ医者には今まで5人ぐらい会ったことがある。
 酒を飲み続けたのは、不安とストレスから逃れたいからである。そして、難局を乗り切った自分へのご褒美でもある。欲望の紛らわしもある。自分の自意識から解放されて、泥のように眠りたいという緩慢なる自殺志向があるのかもしれない。


                        2022.12.28   水曜日

×

非ログインユーザーとして返信する