藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

形式と内容の一致  形式がくだらない文章は内容もくだらない

 

  正確には、「健全な精神は健全な肉体にやどれかし。」という願望。同じく、「優れた内容は優れた形式、文章に宿れかし!」援用すれば「形式がくだらない文章は内容もくだらない」
  形式と内容の一致  形式がくだらない文章は内容もくだらない
 最近の 京都新聞 夕刊 現代のことば に 形式、つまり文章のくだらないものが掲載された。LGBTQ擁護の、内容はありきたりなものだが、その筆者はいつも当たり前の内容を「うん、うん、そうなんだよね」と自己満足げに書くのが実に下らない。例えばこうだ。
 「顔や名前を出し、時間やお金や労力を使って法廷に立つ彼らの闘いには敬意と支持の気持ちしかないけれど、その闘いは本来ならばしなくてもいいはずなのにとも思ってしまう。国がさっさと認めさえすれば。」次のようにすれば、簡潔でわかりやすい。→「顔や名前を出し、時間やお金や労力を使って法廷に立つ彼らの闘いには敬意と支持の気持ちしかない。けれど、その闘いは本来ならばしなくてもいいはずのものだ。なのにとも思ってしまう。国がさっさと認めさえすれば。」
 また、次のようなものがある。「2人が、そして日本全国の結婚を望むすべての同性カップルが、法のもとに家族であると、「夫婦」であると認められるように。それが今年のわたしの願いである。」→「2人が、そして日本全国の結婚を望むすべての同性カップルが、法のもとに家族であると、「夫婦」であると認められるように。それが今年のわたしの願いである。」
 原文はくどくどとしていて、苛立つ。この筆者は「けれど」という言葉遣いが好きなようで、よく多発するが、ねちっこい自己執着の強い人であると感じる。
 現代のことば の危機を担っているあほう第二号である。平和とか、幸福、繁栄とかをキーワードにしている雑誌の編集長をしているが、部下は大変だろう。当たり前の内容をくどくど、ねちねち言い続けるのだから。女性である。すべての女性がそうだというわけではない。フォローしておこう。                           
                                   
                            2023.1.25     水曜日

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