藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

1960 フランス・イタリア制作 太陽がいっぱい

 


 1960 フランス・イタリア制作 太陽がいっぱい 2023.1.26 木 BSP   pm1:00-2:58
                    あらすじ
 貧乏青年トムが金持ちの友人フィリップを殺害し、フィリップに成りすまそうともくろむ。青年トムの完全犯罪未遂の模様を鮮烈に描く。音楽はイタリアを代表する映画音楽家、ニーノ・ロータ。アラン・ドロンの世界的な人気を決定づけたサスペンス・ロマン。


     ノート
 多くの作品が映画化されているアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスの小説をもとにした脚本。演出を手掛けたのは、ルネ・クラマン監督。
 映画は明るく、くっきりした輪郭の美男美女がヨットを操縦し、遊びにふけるが、男二人と女一人ではうまくいかず、女はヨットを降り、男二人が航海を続ける。やがてトムはフィリップを殺害。最後は、フィリップの死体があがり、トムの完全犯罪がついえるシーンで終わる。
 結局は拝金主義の敗北という倫理的な内容で終わっているが、アラン・ドロン演ずる貧乏な美青年トムへの共感は当時、高いものがあったであろう。映画というのは、エンターテインメントであるから、醜をも美的に、快いものとして映像化する必要がある。醜をそのまま醜として描いては、観客はドン引きして、見なくなる。興行収入がダダ下がりとなる。「世にも恐ろしい出来事を身をとろけさすような美しい文章で書いてみせる」のが小説だと言ったのは三島由紀夫である。映画についてもそのことは言えるであろう。この映画の映像は明るく、美しい。内容よりも形式が勝っている。


                             2023.2.1   水曜日

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