藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

堀川通り 丸太町から上立売りまで

 

   堀川通り 丸太町から上立売りまで
 水曜日は堀川上立ち売り角にある整骨院へ施術と四つの機械リハビリ、体操に行く日。体調がよくなったので、三月から月二回に変更した。一回、800円と安い。先生の施術を10分ぐらい受けると、肩、首の硬さがとれるから不思議だ。血流をよくするのが病気をよくする方法というのが先生の考え。
 自転車で13分ぐらい。丸太町通り室町を北上する。下立売通りを西へ。途中には、かつて内村鑑三が住んでいた。1894年ごろの話である。4年間、内村鑑三は京都にいた。石碑もないのは、無教会派だから疎まれての結果か。一般のキリスト教から見れば、無教会派は異端であろう。いつもこの辺りを通る時、そう思う。堀川通を渡る。
 渡る前に少し北に伊藤仁斎の旧宅がある。論語、孟子の原点に帰って哲学した人で、門弟3000人と言われる。京都の学問を愛する風土はこの人らによってつくられた。
 堀川通を北上する。右に一条戻り橋を見て、左は晴明神社安倍晴明で有名。旧日本陸軍の星型マークはこの神社のシンボルマークからとったもの。弾除けである。一条戻り橋も安倍晴明が式神を使って死者をよみがえらせたという伝説のある橋。戦前、京都の人はこの橋を通って戦争に赴いたという。橋を渡ると、死なないで帰って来ると信じられていた。
 更に北へ行くと、山名宗全邸址という石柱がある。左に入ると、同様の山名宗全旧邸跡がある。西陣である。応仁の乱西陣である。応仁の乱で1467年から1477年まで京都は焦土と化し、京都の文化が公家さんとともに地方に広がった。広がったのは和歌や京料理のだしの文化、みやびの文化だろう。
 ぐるっと回って堀川上立ち売り角の整骨院に到着。家から自転車で13分ぐらい。京都市内では自転車で20分くらいで、たいていのところへ行ける。街が本来、コンパクトにできている。昔の人は一時間ぐらい歩くのは当たり前だったのだろう。伊藤若冲も居所の錦市場から相国寺まで歩いて行ったのだろう。そんなことを思う。
 京都は名所旧跡に満ち満ちています。生活の中にいろいろな記念物があります。京都の人は気にせず、生活しているのがほとんど。観光客のほうが却ってよく知っています。
 かつて、東京にいたとき、両国のマションの裏に芥川龍之介生誕の地という石柱があって、京葉道路の喧騒と排気ガスの中に建てられていて、知る人もいないようなのに憮然としたことがあった。
 隅田川をフランスのセーヌ川になぞらえた文学者の会も明治時代にはあった。川本三郎氏が述べている。
 文化とは傾向のこと。それを知ると、思わず沈思してしまう。
 ウクライナとロシアの戦争から一年。戦争をやめるなら、戦争絶対反対論の思想が広まるようにするしかない。ロシアはかつての大ロシアの幻想を夢見ている。ウクライナにも戦争の武器売買で儲けているクズ、悪魔がいるのだ。貧(ひん)すりゃ貪(どん)する。これは精神の枯渇にこそ言えることだ。 
 アメリカが世界に広めた拝金主義万能主義の時代に我々は生きている。そのことの自覚から始めたい。


                             2023.2.25   土曜日

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