藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本語の特徴 : 主語はない モダリティ 婉曲表現 語の使い分け 擬音語・擬態語

 


 日本語の特徴 :主語はない モダリティ 婉曲表現 語の使い分け 擬音語・擬態語
 日本語の特徴は多言語との比較・対照によって明らかになる。日本語に固有の特徴などというものは多言語との比較なしには存在しない。
 本居宣長という国粋主義の国学者は、唐心 からごころ は理屈っぽいからダメだ。最初からそう決めつける。日本人は大和心 やまとごころ だ。「もののあはれ」だ。それは『源氏物語』に表現されていると言った。有名な大和心についての歌がある。


   敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花


 自民族中心主義で、そういう国は世界にたくさんある。戦前、日本は「神の国」だった。世界で一番、幸せな国だった。そう教育されていた。1889年の『教育勅語』は日本人に「天皇のために命をささげること」を最高の幸せと説いた。竹田、聞いてるか! 戦後の天皇は1946年1月に勝手に「人間宣言」してから、もう神ではない。「天皇陛下 万歳!」も形骸化した言葉だ。戦前はもっと神聖な「万歳」だったことだろう。こうしたことを教えないといけないのだが、文科省はずるいから教えようとしない。


 閑話休題、日本語の特徴として他言語との比較・対照で言えることは。
 一 日本語には西洋語の意味におけるような主語はなく、「~が」などは第一次補語と考えるのが妥当である。「~は」は提題化、主題化を示す表現であると考えるのが妥当である。これで「僕はオレンジジュースだ」の意味がわかる。「僕が飲みたいの」(提題、主題)は「オレンジジュースだ。」という事なのだ。「~は」は 英語で言えば、“As  for ~” と考えればいい。 
 二 モダリティ(話者の心的態度)を文法化した表現が多い。「僕なんかこう思います。」の「なんか」や「コーヒーでも飲みませんか。」の「でも」などがそうである。「取り立て詞」と文法で言われる表現である。
 三 婉曲表現が多いダイレクトに言わずに、婉曲的に言う場合が多い。「右に行ってください。」より「右に行ってくださいませんか。」と言い、天気予報で、お天気キャスターが「それでは、今日の天気を見ていきましょう。」と「ましょう」と一緒に何かをするように言うのなどそうである。「それでは、今日の天気を見ていきます。」では、つっけんどんな感じがすると思うのだろう。
 四 漢字語、ひらがな語、カタカナ語を使い分けてモダリティを微妙に使い分ける
   例えば、はっきり謝りたくないとき、「誠に遺憾に存じます。」(政治家の常套句)、「ダイバーシティが大事です。」と「多様性」の代わりに「ダイバーシティ」を使う。「可視化」が固いので、「見える化」というなどなど。日本語は感性言語である。
 五 擬音語、擬態語が多い。日本語は感性言語の面が強いから、「感じ」を擬音語、擬態語で表す。「これはザーッと見て、サーッとやってしまおう。」など。



                            2023.3.3     金曜日

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