藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

フレデリック・クレインス 「蜻蛉日記と京ことば」

  

 フレデリック・クレインス 「蜻蛉日記と京ことば」 京都新聞 夕刊「現代のことば」 
   2023.2.28 掲載
 久々に「現代のことば」ヒットしている。
 フレデリック・クレインス「蜻蛉日記と京ことば」はフレデリックさんが蜻蛉日記の記述を通して京ことばの婉曲話法の淵源に思いをはせている優れたエッセーである。
 フレデリックさんはベルギー人で、中学生のころ、源氏物語に出会い、日本文化にのめり込むようになり、やがて専門は歴史学に落ち着いたが、平安文学には特別な憧れを抱いていて、今まで手付かずだった蜻蛉日記を最近読んでみて、藤原兼家に出仕を促す内容の和歌が上司から再三届いて、上流階級の事務連絡が和歌を通して行われていたことに注目している。兼家は次のような和歌で出仕を催促された。


 つれづれのながめのうちにそそくらんことのすぢこそをかしかりけれ
 (退屈な長雨を眺めていると、そちらは家に降りそそぐ雨でいろいろな事情があるご様
  子、楽しそうですね)


 婉曲に和歌で出仕を促していることにフレデリックさんは注目する。
 京都人の婉曲話法について、為政者がどんどん変わっていく環境で本音を言わなくなったのだという説をよく見かけるが、フレデリックさんは生まれ故郷のベルギーでも為政者が外から来てどんどん変わっていったのに、ベルギー人は率直にものを言う例を挙げて、その説に懐疑的である。
 京都人の婉曲話法は、平安時代の名残ではないだろうか。蜻蛉日記を読みながらふとそう思った。そうフレデリックさんは文を結んでいる。
   
    ノート
 フレデリックさんのいう事が正しいかどうかはわからないが、歴史の中に、この場合、蜻蛉日記の中に京都人の婉曲話法の淵源を見出そうとする非常にセンスのいいエッセーである。好き勝手なことを知識もなくセンスもなく、鉛筆なめなめ(籠池さんの奥さん、御元気ですかあ?!)して書けば、エッセーになるわけではない。
 蜻蛉日記は、受験の時に少しかじったが、それ以降読んでいない。外国人のほうがかえって自国文化に通暁していることもある。故ドナルド・キーン氏しかりである。
 フレデリック・クレインス氏は国際日本文化研究センター教授で日欧交流史が専門。
 国際日本文化研究センターは故桑原武夫氏と梅原猛氏がつくった日本文化研究の国内最高峰の研究機関で、テレビによく出ている磯田直史氏も同センター現教授である。この人は速水融という人口から歴史を見るユニークな先生の弟子である。現在の所長は、井上章一氏。髪の毛が真っ白になった。井上氏ももう68歳。


                             2023.3.7     火曜日

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