藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

無鄰菴  山縣有朋 やまがたありとも の京都の別荘

 

               無 鄰 菴

   

            1903年  無鄰菴会議


    無鄰菴  山縣有朋の京都の別荘
 京都市は洛東、東山近く、岡崎の辺に無鄰菴がある。山縣有朋の京都の別荘である。東京、駿河台、椿山荘はやはり山縣有朋の元邸宅である。山縣有朋は日本陸軍の育ての親であり、明治の富国強兵策を推進した人である。民衆からは嫌われて、葬式には参列者はまばらであった。大隈重信の葬式が盛大に行われ、民衆も大勢参加したのと対照的に語られる。
 しかし、なかなかの趣味人で、日本の伝統芸術に造詣が深かった。無鄰菴も東山を借景とする庭園であり、中はせせらぎが流れている。七代目作庭家 小川治平作の庭である。晴れた日には、せせらぎが太陽の光に映えて、心が和む。日本的な苔を好まず、イギリス的な芝生を好んだ山縣のこの庭はあくまで明るく陽に映えてまぶしいほどである。
 しかし、無鄰菴を入ってすぐの2階建ての洋館で、日露戦争前の1903年4月11日に、伊藤博文や小村寿太郎、桂太郎と会して、日露戦争の決定について話し合われたという。ほの暗い洋館の中を見たとき、私は慄然たる思いに駆られた。国家の戦争が一部の為政者によって決められるのは、今も昔も変わらない。絶対戦争反対論を120年前に唱えたのは内村鑑三であるか、いまだそのことを唱える政治家はごくわずかである。軍需産業は戦争で儲けることをもくろむ。アメリカは戦争をやめられない。ロシアも大ロシア主義の幻想を捨てられない。ひどい現状である。



                             2023.3.16  木曜日

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