藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

芥川龍之介 について

      


  芥川龍之介 について
 週に一日、非常勤で教えている「言語教育と翻訳」のクラスの留学生で、芥川龍之介の「中国游記」のテーマで修論を書きたいという上海から来た学生がいるので、芥川龍之介について10冊ほど、本を読んでみた。京都市図書館で調べると、960冊、芥川関係の本があった。京都は大学が多いからか、質の高い本がたくさんある。
 芥川龍之介は、1892年(明治25)3月1日生まれで、辰年辰月辰日辰刻に生まれたから、龍之介と命名された。現・中央区明石町に生まれたが、母ふくが同年10月25日、突然、発狂したため、ふくの実家、本所区小泉町15番地(現・墨田区両国3-22-11)の芥川家に引き取られる。
 私は40年ほど前、そのふくの実家の後に建てられた「両国マンション」に半年間ほど住んでいたことがあり、マンションの裏手に「芥川龍之介生育の地」だかの碑があったのを見て、憮然としたことがあった。京葉道路の一角で、排気ガスの塵埃にまみれた地である。およそ文学碑のあるにふさわしいところではない。幻滅と悲哀を感じた。
 東京府立第三中学校から成績優秀のため、1910年(明治43)9月、無試験で第一高等学校一部乙類に入学した芥川の同級には菊池寛や山本有三、久米正雄、土屋文明がいた。
 1913年(大正2)7月、第一高等学校を文科27名中2番で卒業した芥川は東京帝国大学文科大学英吉利文学科に入学。
 1916年(大正5)「鼻」を発表。漱石に激賞される。のち、「芋粥」「羅生門」「杜子春」などを発表。
 1921年(大正10)、上海、江南、長江、武漢、北京などを大阪毎日新聞海外視察因として見て回り、「上海遊記」などを書いた。
 1927年(昭和2)7月23日、致死量のベロナール、ジャールを飲んで、自殺する。


芥川龍之介(2001)『上海游記・江南游記』講談社学芸文庫 の「年譜―芥川龍之介」参照。



                       2023.4.28      金曜日

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