現代のことば 「ごまめの歯ぎしり」齋藤亜矢 2023.4.27 京都新聞 夕刊
現代のことば 「ごまめの歯ぎしり」齋藤亜矢 2023.4.27 京都新聞 夕刊
内容概要
齋藤亜矢さんは「くやしい」思いを何度も反芻する自分に気づき、自己省察する。斎藤氏は網膜の疾患で右目が見えないが、野生動物の研究を志していた学生の頃、そのことを知ったある教員から「フィールドワークは、二つの目で見ることが大事だから、片目では無理」と言われた。
返す言葉が見つからず、くやしくて涙が出た。そのことがまた、くやしかった。反論するのにあまりに非力な自分は、これからの行動でくつがえすしかないと思った。その後、医学研究科に進み、芸術研究の道を選んだが、くやしい思いは取り残された。
20年以上が経ち、雑誌の連載で、展覧会にまつわるエッセーを書くようになり、あ、私は「見る」ことを仕事にしているんだなと気付いたことがあった。作品を鑑賞するとき、これまでのあらゆる「見る」経験を重ね合わす。それを言語化し、自分の「見る」を解体する。ベースにあるのが、フィールドワークの「見る」だということに気づいた。じつは、今までずっとフィールドワークをつづけ、自分なりに「見る」ことに向き合ってきたのだ。ようやくそう思えて、心の隅にこびりついていた「くやしい」がポロリとはがれ落ちた気がした。
ノート
「くやしい」思いがどのように解消されたかを知ることができ、象徴的である。ある教員の一言によって踏みにじられて生じた「くやしい」思いが、自己省察によって、ある教員の一言を克服してきた自分を見出し、「くやしい」思いを持つ必要がない自分がいることに気づき、「くやしい」思いを解消したのである。「片目でもフィールドワークができる」ことを人生で証明した斎藤さんは、「くやしい」思いを持つ必要がなくなったのである。
私を含めて多くの人は、斎藤さんのように過去の「くやしい」思いを解消できないことが多い。トラウマを抱えて生きている人は多い。どうすればいいのだろうか。考え方を変えるというような抽象的なことではなく、人生の歩みの中で、過去の「くやしい」思いを解消するだけの「証明」が必要なことは確かだ。それには多大なる努力が必要だろう。努力してどうにもならない容姿の美醜、性格、能力差、運のあるなし、更には地位・金の差などによって生じた「くやしさ」はどうすればいいのか。不断の心の努力が必要なのだろうか。どうすれば「解消」されるのだろうか。生きる姿勢が問題なのか。少なくとも考え続けよう。
2023.5.4 木曜日