藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ライシャワーの日本論から考える

   

    ライシャワーの日本論から考える
 ライシャワーは元駐日大使で、元ハーバード大学教授。奥さんは日本人である。
 ライシャワーの日本論はつとに有名で、江戸時代、江戸は政治の中心、大阪は経済の中心、京都は文化の中心という内容の日本論である。
 京都が文化の中心というのは、あいまいな言い方で、江戸時代、京都は産業都市で、職人の町であった。そのことは地名に残っており、鍛冶屋町とか衣棚通りという町名や通り名に残っていることは以前、述べた。
 ライシャワーの日本論は現在でも通用するだろうか。東京一極集中が言われて久しいが、そのことは現在でも言えることで、文化庁を京都に移すというのも、あまり盛り上がりが見られない。岸田という人はいろいろな意見をよく「聞いて」、少しずつその要望を聞いて満たして、不平不満を抑えるのが上手な人なのかもしれない。前の安倍首相は、好き嫌いがはっきりしていて、嫌いな人間の顔は見なかったというから、かなりタイプが違うが、世襲議員が首相になるという点では安倍氏も岸田氏も同じで、日本は世襲制という「血」の伝統を越えていないのではないかと思うことがある。
 それなら、基本的に江戸時代と同じである。先祖返りということもあり、過去の「文化」の根強さということは意識して考えてみる必要のあることである。考えてみれば、江戸時代は、上の部類の人たちにとって、職業選択の自由も結婚の自由もない窮屈な時代であった。
 今でもそうした「文化」が残っているように思うことがある。過去の文化がどのように現在に残っているかを知ることは大切なことである。少なくとも理屈、理性だけでは世の中は変わらない。政治の世界を見れば、そのことは容易にわかる。


                                2023.5.15 月曜日

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