藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

~てしまう

     ~てしまう
 「~てしまう」は客観的には「完了」の意味であるが、話者の心的態度=モダリティー modality 的には「取り返しのつかない後悔」や「二度と元へは帰らないことの確認の気持ちや達成感」を表す。dictum   客観的事柄  に modius  主観的態度 が付き従って、日本語の文は構成されるというのが南不二男氏の『現代日本語の構造』の考え方である。
  「やっちまったなあ」や「食べちゃった」(幼児がよく使う)という表現はそうしたモダリティーを表している。
 日本語教育の初級ではdictum   客観的事柄 を表す「完了」の意味の「ている」表現を教える。学習者はあまり面白くはないだろうが、語学の初級とはそういうものである、と言ってしまえば、味もしゃしゃりもないか。語学の初級を乗り越えるには、異文化への好奇心と忍耐が必要である。外国語大学や日〇学院などで強制のもとに外国語を習得するというのも一方法です。人は強制がなければ長続きしないというのも事実ですから。


                           2023.6.5  月曜日

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