藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

ウクライナとロシアの戦争について  ゴルバチョフとの関係で

    

   ウクライナとロシアの戦争について ゴルバチョフとの関係で
 1989年は大変な年だった。天安門事件、ベルリンの壁の崩壊。そのあと、1991年にロシアは崩壊する。
 ゴルバチョフはNATOの解散を訴えていた。ワルシャワ条約機構をなくすのだから、当然の主張だろう。しかし、その前にゴルバチョフは東西ドイツの統一に難色を示していた。ゴルバチョフは自分の生まれ故郷の小さな農村でドイツのコール首相と膝詰め談判して「戦争は二度と起こすまい」との点で一致した。ゴルバチョフもコールも身辺に戦争で亡くなった人がいたから、その思いは切実だろう。ドイツは統一の見返りとして、ロシアへの経済援助を約束した。ゴルバチョフは結局、東西ドイツの統一を認め、NATOに入るかどうかは統一されたドイツの主権による自由であると言った。度量が大きい。
 ゴルバチョフによって、ロシア経済は混乱し、結果、人心は離れていった。代わって登場したのが強権的なエリツィン(伝統的なロシアの政治家)だった。しかし、彼はゴルバチョフの残した課題であるNATOの解散について無能であった。さらに2001年からは、より強権的なプーチンが大統領になり、「大ロシア」というかつての強いロシア復活への思いを訴え、ロシア人はそれを支持した。
 今回のロシアとウクライナの戦争の根源はゴルバチョフの残した課題、NATOの解散を進められなかったエリツィン、そして冷戦終結を自分の勝利と傲慢にも考えたアメリカ、それに追随するヨーロッパ諸国にあると言わざるを得ない。プーチンは非常な危機感を持っていて、ウクライナをNATOとの緩衝地帯としようと考えたが、それが脅威にさらされ、アメリカが参戦しないことを確認してから、戦争を仕掛けたのである。もちろんよくないことだが、政治家の度量ということも大いに関係している。プーチンは非常に疑い深い。
 文化における先祖返り現象が今回のロシアとウクライナの戦争においてもみられるのである。
 理想主義の色が濃厚だったゴルバチョフだけを責めるのは、酷だと思う。プーチンという疑い深い、強権的な、伝統的なロシアの指導者は子分のように思っていたウクライナのNATO参加を到底、容認できなかったのである。
 それが比較文化学的な私の考えである。


                         2023.6.26  月

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