藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

百叩きの刑から考える

    吉宗時代の百叩きの刑  老人、病人には弱く打つように配慮した。


  百叩きの刑から考える
  先日、述べたコウラン伝(BS12   午後4-6時 放送)を見ていると、失態を犯した宮中の女官が「百叩きの刑」や「鞭打ち30の刑」に処せられることがある。冤罪の場合もあるし、失態を犯した妃の身代わりの場合もあるが、問題は「百叩きの刑」や「鞭打ち30の刑」に処せられると死んでしまうということである。日本では冗談で「鞭打ちの刑だなあ」などということがあるが、かくも大陸本土と海を隔てた島国日本では厳しさがちがう。
 もっとも、大陸でも間接性はあり、「蜀犬日に吠ゆ」(蜀の犬は曇天が多いので、太陽が出ると、奇異に思い、日にむかって吠える、見識の狭いことのたとえとして用いられる。漱石の「草枕」でも見識の狭いことのたとえとして引用されている。)とか「指桑罵槐」(桑を指さして、槐 えんじゅ を罵る。あるもの(桑)を罵って暗に他のもの(槐)を罵るという意味。)といったレトリック、間接性の表現はある。
 コウラン伝で最近、印象に残った間接性。鹿をウコンで育てて、その肉を宮中の宴に出す。丁子を酒に混ぜて出す。すると、ウコンと丁子が混合して参加者の意識がもうろうとして、そのすきに王妃が宣旨を出して、自分の思うように政治を行うというのがあった。鹿をウコンで育てたことは秘密にする。面白い間接的な毒の精製法である。
 逆の直接性もある。例えば宦官がそうで、物理的に密通できない者しか宮中には入れないという大陸的リアリズムである。こうした直接性と間接性で大陸の政治は行われてきた。天皇への赤誠、天皇の赤子をもって任じる軍国思想が統治できるところではないのである。
 日本人は自らの、大陸への脅威、尊崇、小中華主義を認識し、「アジア人同士戦わず」(副島隆彦)を旨として生きていくべきではないだろうか。


                                                                                                    2023.8.14        月曜日

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