藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

モーテン・H・クリスチャンセン ニック・チェイター(2022)『言語はこうして生まれる』新潮社 1

    

 モーテン・H・クリスチャンセン ニック・チェイター(2022)『言語はこうして生まれる   「即興する脳」とジェスチャーネーム』1 新潮社
 言語は即興のジェスチャーゲームであるというのが本書の骨子となるアイデアである(p.323)。
 人間は耳に入ってくる言葉の連続を小さなかたまりに区切って、かたまりごとに処理してから、それらの塊をつなげて全体を理解する。人間が話をするときは、その逆に、漠然と頭にあるかたまりを、小さなかたまりに分解してから口に出す(p.324)。
   どの言語でも一つの単語が複数の意味を持つことは多いが、一つの単語に割り当てられた一つの意味とゆるやかにつながる別の意味が、その単語に追加されて新しい表現になっていく。こうして言語の多様性が生じ、言葉は「文脈しだい」のものになる(p.324)。
  言語には言葉遣いの一定の許容範囲をおのずと定める秩序があり、これをチョムスキーは「生成文法」という概念で説明した。どの言語にも共通する数学的、論理的に一貫したルール=文法があるというのだ。そしてその文法パターンを人間は生来的に身につけているとチョムスキーは主張した。これに対して、文法という秩序はジェスチャーゲームの連続から自然発生的にできてくる、というのが本書の見方である(p.324)。


             ノート
 チョムスキーの生成文法も今は昔の話。深層構造、表層構造などと言って、深層構造を明らかにしようとしたがあまりうまくいかなかったようだ。チョムスキーの生成文法の意義は、それまで文系の研究対象と思われていた言語の研究に理系が入り込んできたことである。それでも言語の解明が進んだとは言えるのだろうか。
 本書のユニークなのは、「文法という秩序はジェスチャーゲームの連続から自然発生的にできてくる」という点にある。子供は即興のジェスチャーゲームを繰り返して、数年で文法を急速に身につけていく。チョムスキーの言うように「文法パターンを人間は生来的に身につけている」というのも眉唾物である。チョムスキーのこの考えによって、誤用例研究がないがしろにされたのは、遺憾なことである。なぜなら、「文法パターンを人間は生来的に身につけている」から、放っておいても人間は「正しい文を産出する」ようになる。だから、語用例研究など意味がなく、研究する必要がないということになるからである。
 英語母語話者が日本語を勉強していて次のような誤用をしました。
  「私は8本の指を持っています。」
  なぜでしょうか。答えは明日に・・・。




                         2023.8.18    金曜日

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