藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

戦前の歴史

 戦前の歴史
 戦前、と言っても80年以上前の話になり、今の人間は生きていないほうが多いが、なぜ戦前、戦争に日本が向かったかと言うと、1929年(昭和4)のアメリカ、ウォール街の恐慌が世界大恐慌を引き起こし、日本もそのあおりで東北では「娘、売ります」といった立て看板も立てかけられるという悲惨な貧困が日本を覆いつくしていったということがひとつにはある。
 1928年には張作霖謀略爆殺事件(満州某重大事件)があり、軍人が功を競って、日本政府の言うことを聞かなくなる状況があり、1930年にはロンドン海軍軍縮条約が調印され、日本でも軍人がたくさん解雇され、彼らが郷里の在郷軍人会で政治的扇動を実質的に行い、「満蒙は日本の生命線」などというスローガンを国民に流布して、満州を日本のものにしようという流れができていく。
 軍部は1931年(昭和6)の柳条湖事件、翌年の満州国建国宣言、五・一五事件、1936年(昭和11)の二・二六事件と暴力と恫喝で日本を全体主義国家に導いていき、同年の日独伊防共協定調印で当時、勝ち馬のドイツについていけば大丈夫と勝手に思い込み、戦争へまっしぐらの道を進んでいく。中国への侵攻をやめない日本は日独伊以外の欧米からは総スカンを食い、ABCD包囲網で経済封鎖をされた日本は、南洋にエネルギーの活路を見出そうとしたが、1941年、真珠湾攻撃でアメリカに喧嘩を売り、それによってアメリカも戦争に本腰を入れて参加することになる。
 当時の日本人は日本は「神国」であり、神国日本は必ず勝つと教えられ、それを信じ込んでいた。天皇の優柔不断も手伝い、広島・長崎に原爆を投下され、ようやく日本は敗戦の道を選択する。
 1945年以後は、基本的にアメリカべったりで、物質主義、拝金主義にたぶらかされた日本、日本人は今やアメリカの忠実なポチとして、尻尾をちぎれんばかりに振りまくっている。
 「台湾有事」を勝手に信じ込み、防衛費増大を行うのは、戦前のドイツ礼賛と似ており、せめてアセアン諸国のようにアメリカにも中国にも、そのどちらにもつかないというスタンスがなぜ採れないのか、不可解な思いを持つことしきりの最近の日々である。
 「文明の衝突」の故ハンチントンが日本を批判している。「日本は一番の国についていく国だ。」と。言い得て妙である。国民は気を付けたほうがいい。岸田ののらりくらり戦法はとんでもない負債を我々に押し付けてきている。


                         2023.8.22        火曜日

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