藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

在日朝鮮・韓国人暴きの根にあるもの


 在日朝鮮・韓国人暴きの根にあるもの
 ネットやTiktokを見ていると、在日朝鮮・韓国人暴きを時々しているのを目にする。日本人になっているのに、元韓国人だとか元朝鮮人だとか言って、その素性を暴くのである。
 芸能人なら、和田アキ子やにしきのあきらが暴露されている。
 「NHK紅白歌合戦は部落と在日がいなくなったら、開催できない」というブラック・ジョークがある。まんざら嘘ではないだろう。
 どうでもいいことだと思う。日本人に帰化したなら、日本人なんだからそれでいいだろう。
 在日朝鮮・韓国人に参政権を与えろという運動もあるが、日本に長くいるなら(そして、将来も日本に住み続けるつもりなら)、日本人になって参政権を取得したらいいだろうという考えもわかる。日本にいながら「民族の誇り」を誇示するために日本人にならずに参政権を得ようと言うのは、それはアメリカにいて、税金を払っているから、アメリカ人でなくても選挙権を与えろというのと同じではないか。そんなことはアメリカで通用しない。
  もちろん、過去の植民地化や差別がいいはずがないし、多くの日本人は私を含めて、二度とそんなことがあってはならないと思っている。
 在日朝鮮・韓国人の中で、本当の朝鮮・韓国人は「民族の誇り」をもって日本人にならずに参政権を要求するものだという主張があって、それに賛成する人は要求するし、どうでもいいと思う人は日本人になって知らん顔をしているということで、それは在日朝鮮・韓国人の中の問題だと思う。
 しかし、また、それは在日朝鮮・韓国人の文化の問題であるとともに、日本文化の問題である。血を重んじる日本文化の問題である。
  天皇という血を重んじる存在が制度化されている日本では、在日朝鮮・韓国人あばきという極めて日本的な奇妙な嫌がらせがまかり通っている。
 人の心の痛みを想像して、うかつなことは言わないというのは、この国で生きていて金もなければ運もない、努力もしなければ、うまくいっている人間には腹が立って仕方がない、カスみたいな「日本人」にはどだい難しいことなのかもしれない。そういうのに限って無反省に「戦前を美化」したり、「天皇」「日本」「日本人」を美化したりする。程度の低い話である。日本人と言ってもいろいろだ。皮肉なことに日本人らしくないのがそういうことをしている。
 それとは別に、上の表にみられる「在日外国人の構成比」のような民主主義の根幹にかかわる問題があるのも事実だ。民主主義は現実には多数決主義だが、それとともに少数者にもある程度の配慮はする必要がある。そうしないと、全体主義になってしまう。
 東京では5人にひとりが外国人となっている。名古屋、大阪では10人にひとりに迫っている。推進派と慎重派はいつでも相手を批判し合う。そうした政治に人々は見向きもしなくなっていく。「選挙に行きましょう」とテレビアナウンサー、マスコミ(特権階級)が呼びかける。大きなお世話だ。誰にも入れたくないんだよ。そういう声が聞こえてくる。


                           2023.8.24   木曜日

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