藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

「アルヨ」ことば  中国人は「なになにアルヨ」といつから日本語で言い出したのか。

    

  「アルヨ」ことば  中国人は「なになにアルヨ」といつから日本語で言い出したのか。
 「ちょっと難しいアルヨ」などと中国人は実際は言わないのに、中国人の話す日本語では「なになにアルヨ」という言い方が特徴的だと日本では思われている。
 その謎の解き明かしに挑んだのが金水敏(2023)『コレモ日本語アルカ?―異人のことばが生まれるとき』岩波書店 岩波現代学術文庫 である。
 本書によると、「アルヨ」言葉が最初に発生したのは横浜ピジン。それから、1921年の宮沢賢治「山男の四月」、日清、日露戦争後の満州ピジン(日本人と満州人との間の片言日本語。)。さらに田川水泡の1937年、1938年の『のらくろ』ものの中の中国人の話す日本語、戦後の手品などでの継承(ゼンジ―北京の「なになにアルカ」など)、1980年代のカンフー映画の影響の下でチャイナ少女と呼ぶべき美少女がアニメ、マンガに登場し、さらにその他の片言中国語表現が多くみられるようになり、今日、「アルヨ」言葉は衰退期に入っているという。
  ピジンとは「二つ以上の言語が接触する場で、自然発生的に用いられる奇形的な言語」(p.34)である。「アルヨ」言葉はやはり戦争と深い関係がある。「アルヨ」はピジンとして生じ、日本人の間に定着したということであろうが、宮沢賢治の小説が最初というのは、腑に落ちない。唐突で根拠が述べられていない。
 金水敏という人は学者さんで、文章が客観的過ぎて、緩急自在な躍動感がない。実証的な研究者であろうことは想像に難くないが、もう少し読者に愛嬌、サービスをふるまってもらいたいと思う。実証的記述だけでは読み続けるのに苦労する。社会批判もすべきはしたほうががいい。最近の大学の教員は文系もドクターを取らないと常勤になれないから、上の顔色をうかがって研究するのが大半になってしまった。


                             2023.9.4     月曜日

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