スクスク クスクス オノマトペ研究の現在
スクスク クスクス オノマトペ研究の現在
スクスク育つ クスクス笑う では意味が全く違う。スクスクは「伸びやかな成長の仕方」を、クスクスは「押し殺した笑い声」を表現するオノマトペ(擬音語、擬態語)の一つである。第一子音のsは「順調さ」を表し、第二子音のsは「こする運動、摩擦」を表し、第一子音のkは「表面が硬質なこと」を第二子音のKは「空洞、外から中、中から外、上下の運動」を表す。(窪園晴夫編(2017)『オノマトペの謎』岩波書店 pp.21-22)。
こうした音が意味を表すという考え方は、従来の言語学では否定されていて、言語の特徴の一つとして形と意味の恣意性 しいせい が挙げられていた。恣意性とは「そんなの関係ねぇ!」ということで、言語の形と意味は関係がないということである。
しかし、近年の言語学では、他動詞に意味的に強く結びついた直接目的語は、構造的に他動詞に近い位置に置かれるというような、形と意味の何らかの必然性が認められるようになってきていて、恣意的とは言えないオノマトペのようなものを、言語学の中で真剣に取り扱う下地が整ってきている(同書 p.27)。トントンとドンドンでは、受ける印象が全然違うのは形と意味に関係性があるからだということになる。
「あいうえお」それぞれの音に意味があるという内容の本を50年近く前に読んだことを思い出す。『音波姓名術入門』という本だったと思う。著者は記憶していない。「あ」は「広がり」、「い」は「金属的」、「う」は「くぐもった」、「え」は「平らか」、「お」は「丸く調和的」な意味を表すと書いてあったと記憶する。女の子に「子 こ」という字を末尾につけるのは、「丸く調和的」なことを親が望むから(現在、子がつく女の子は少なくなったが)というようなことが書かれていた。
バッタものと言われる、いかがわしいものが世の中にはある。それが真実として広がるには学問の権威や人々の変化を求める気持ちに合致する必要があろう。学問、世の動きにはすたり流行りがあり、それがどう動くかわからないところに将来への希望と不安が存在する。
わたしはバッタもののような本も好きで、いままでいろいろと読んできた。また、素朴な疑問を研究にまで高めようとする姿勢の本が好きである。すでに述べた土地と土地の力などにも興味を持っている。風水が一定の説明をしていることも知っている。しかし、風水は環境決定論の一種で、なぜそうなのかを説明しないから、信用できない。東洋医学も似たところがある。「経絡」けいらく というのは一体、どこにあるというのだろうか。こういう考えをするのは、私が西洋の考えに影響されているからだろう。そういうことを自覚することから始めたいというのが私の考える比較文化学的思考である。否定するのではしなく、なぜそうなのかを考えたい。
2023.2.6 月曜日