鄧小平について
鄧小平について
フランスに留学。共産党機関紙を印刷して名を馳せた。
政争では毛沢東に何度も失脚させられたが、毛沢東は息の根は止めなかった。
毛沢東の死後、頭角を現し、最高実力者となり、改革開放を推進したが、天安門事件では民主派勢力を弾圧して、共産党一党独裁を堅持した。
先富論で豊かになれる者が先に豊かになることを説いた。実力主義礼賛である。「高考」(普通高等学校招生全国統一考試=大学統一入学試験)も再開した。
現在の、政治は共産党独裁、経済は自由主義というのは前例があり、中国の宋代はそうであった。君主独裁と民衆経済の発展の二つが共存した。内藤湖南の説である。内藤湖南は宋代を中国の近世とみて、唐宋変革論を説き、いまでも京大東洋史学はその考えで歴史研究を行っている。西洋の中国歴史研究者の見方では、アヘン戦争を中国近代の始まりとしている。毛沢東もそうである。
2023.6.8 金曜日