藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

漱石と美文

  水底の感 水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。 黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。 うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。 ――明治三十七年二月八日寺田寅彦宛の端書に――              漱石と美文   北川(2020)「ただよう」pp.97-120    …

漢文学と英文学 漱石の選択

        漢文学と英文学 漱石の選択        北川扶生子(2020)「こだわる」 pp.79―91  内容要約  ダーウィンの進化論は生物の進化論であり、理系の世界の話であったが、ハーバード・スペンサーはそれを文科系にも援用して文化の一方向の進化を唱えた。社会進化論である。文学も西洋文学が正しい文学で、それを学びに漱石はロンドンへ赴いた(正確には、文部省から英語教育研究の名目で留学し…

明治40年代の漢文の状況

                高 山 樗 牛 (1897年 (明 治30))「支那文学の価値」 明治40年代の漢文の状況 北川扶喜子(2020)pp.37-58  「ねじふせる」  要約  漱石の『虞美人草』が書かれたのは1907年、明治40年のことで、それは「自分で結婚相手を決めようとしたが、死という報いを受ける」物語であった(p.40)。好きな相手と結婚しようとして死の報いを受けた藤尾を死…

言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)

    言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)     北川扶生子(2020)序章   内容要約  漢文調(p.18)は荘重で、公的、権威的文体である。漱石は『虞美人草』で男を手玉に取り利で利用しようとする藤尾を「正義」でさばいたが、その描写は漢文調によるものであった。樋口一葉は『たけくらべ』を和文調で書き、幸田露伴は漢文調で小説を書いた(p.27)。  文体、ジャンル…

北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』について

             北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』につ        い て   内容要約 ・『吾輩は猫である』(以下、『猫』と省略する。)は天下泰平の駄弁。どこにもたどり着かない言葉の洪水。これがこの小説の魅力である(p.125)。 ・『猫』の駄弁は、誰もがボケ役、ツッコミ役の両方をこなす。ツッコミなしのボケっぱなしも、ツッコミも…

柄谷行人 漱石論 『虞美人草』 柄谷(2017)pp.366-372

       柄谷行人 漱石論『虞美人草』柄谷(2017)pp.366-372  ・『虞美人草』 は1907年、明治40年に朝日新聞に連載された。東京帝大講師をやめて、朝日新聞に入社した漱石の最初の仕事である。この時、漱石は初めて作家としての自覚を持った(pp.366-367)  。 ・漱石は社会正義に強い関心を抱いていて、「僕は一面に於いて俳諧的文学に出入すると同時に一面に於いて死ぬか生きるか…

漱石 『虞美人草』内容 登場人物 ノート

                ヒロイン 藤尾を思わせる三越百貨店のポ    スター 北川扶生子(2020)p.38    漱石 『虞美人草』あらすじ 登場人物       ノート  あらすじ  Wikipedia 閲覧  甲野藤尾(こうのふじお)は虚栄心の強い美貌の女性。兄の欽吾が神経衰弱(鬱病)療養により世間とは距離を置き、家督相続を放棄しているのを良いことに、亡き父親の洋行帰りの品で遺品で…

柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート

          柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート  柄谷行人(2017)pp.347-349  内容    「それから」は明治42年、朝日新聞に連載された。「それから」は「三四郎」のそれからである。  「門」は「それから」のそれからで、これら三作品を三部作とみなすのが通説であるが、これらをある主題を追求した一連の物語と読むべきではない(p.343)。←なぜかと言うと、柄谷氏は…

日本の自然主義について

   自然主義について   漱石が『吾輩は猫である』を書いた1905年、1906年は自然主義全盛期で、1906年から1909年は自然主義の時代であると文学史上はされている。元来、フランスの科学主義としての自然主義が日本に移入された時は、遺伝と宿命という科学を中心とした客観主義であったのが、いつの間にか内面暴露、私小説へと変貌していったのが日本の自然主義であった。漱石は島崎藤村の『夜明け前』などを…

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート

     漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』       あらすじ 十一 + ノート  あらすじ 十一  「床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している。~」  床の間の前で迷亭と独仙が碁を打っている。寒月と東風が相並んで、そのそばに主人が座っている。雑談が始まる。ヴァイオリン、渋柿の甘干し、寒月と金田令嬢の結婚の話、寒月はすでに結婚していること、探偵など話はとりとめがない…

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート

         『吾輩は猫である』  原稿 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート   あらすじ 九  「主人は痘痕面である。御一新前はあばたも大分流行ったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時候後れの感がある。~」  主人のあばた面の話。主人はあばたが目立たないように長髪にし、いつも鏡を見て、あばたが目立たないように気を付けている。鏡…

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート

  漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート  あらすじ 七  吾輩は最近、運動を始めた。新式運動には蟷螂(かまきり)狩り、蝉(せみ)取り、松滑り、最後に垣巡りがある。服装についての吾輩の考えを述べた。裸体画は誤りである。  薬湯、鉄砲などについて、とりとめのない話が続く。  主人と細君の話。主人が細君に吾輩を鳴くまでぶてと言うので、吾輩がニャーといってやると、…

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ三、四 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』あらすじ          三、四 + ノート   あらすじ 三  「三毛猫は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己ができたのでさほど退屈とも思わぬ。~」  主人はジャム好きで、たくさんジャムをなめる。  迷亭が来て、吾輩が相手をしていると、主人の奥さんが来た。迷亭と奥さんが雑談をしていると、主人が帰ってきた。さらに寒…

漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ一、二 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』一、二           あらすじ + ノート  一 あらすじ 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。~」  いくら放り出しても台所へあがってくる野良猫、「我輩」は主人の許可で家に置いてもらうこととなった。中学校教師の主人はわがままで、主人が猫を水彩画に描こうとして、猫が小用に立とうとすると、猫を馬鹿野郎呼ばわりする。車屋の猫と知り合い、車屋の猫…

江藤淳「漱石の文学」  内容要約 +  ノート

        江藤淳「漱石の文学」  内容要約 +  ノート  江藤淳「漱石の文学」(平成17)『草枕』  新潮文庫 pp.200-212   内容要約    ・漱石文学の核に潜んでいるのは、寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である(p.202)。漱石の生家と養家いずれもが名主の家柄だったという事実は重要で、名主は管理することにおいて武家に通じ、消費においては武家の自己抑制に必ずしも制約されな…

柄谷行人 漱石論「文学について」 内容要約+ノート

         柄谷行人 漱石論「文学について」  柄谷行人(2017)pp.125-154  漱石論「文学について」。  内容要約  漱石が「英文学」に対して「漢文学」と言った時、それは中国文学ではなかった。そして漱石は「英文学」に対して和歌に代表される古典文学を対置しなかった。漱石は「漢文学」に対して、英文学・漢文学・国文学のいずれでもないもの、つまり音声的でないものを求めた(p.134)…

柄谷行人 漱石論「内側から見た生」内容要約とノート

           柄谷行人 漱石論「内側から見た生」内容要約とノート  内容要約  柄谷行人(2017)pp.88-97 。『夢十夜』は漱石の生の暗喩である(p.69)。漱石は生への徹底的な嫌悪を持ち、社会的に存在することは自己の本質を奪っていると考えた(p.73)。  「第三夜」。自分の背負っている盲目の子供が、100年前に自分に殺されたと言い、それを思い出すと背中の子供が石のように重くな…

「関口宏のもう一度! 近現代史」終了

「関口宏のもう一度!  近現代史」終了  「関口宏のもう一度! 近現代史」が昨日、2022年3月26日 土曜、午後12時から12時55分 で二年間の放送を終えて、終了した。次回からは古代史 最前線 を放送するそうだ。  この番組の後、関西では「吉本新喜劇」を毎日テレビ4ch で放送するので、その前に時々見ていたが、昨日、見ると、終了のあいさつをしていた。この番組を見ての印象とそれから思うことを少…

柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート

         柄谷行人「意識と自然―漱石試論」 ノート  柄谷行人「意識と自然―漱石試論」は1969年『群像』新人賞を受賞した、同氏の10代~20代の漱石論である。(以下の頁は柄谷行人(2017)『新版 漱石論集成』岩波現代文庫 の頁。)  ここにいう「自然」とは=「存在」のことで、19世紀の「自然」は思想原理としての力を失い、自然科学や自然主義のようなみすぼらしい地位に転落してしまった(p…

鴎外と漱石

鴎外と漱石  鴎外と漱石は和・洋・中に通暁していながら、方向が全然違う。  鴎外は軍医であり、大日本帝国とともに歩んだ人である。基本的に官僚としての精神的ストレスを文学で昇華した。墓に「森林太郎の墓」以外の何も書いてはいけないと遺言したところに、鴎外の心中を察して余りあるものがある。鴎外の文章には法律家の文章のように理知的で透明な、無駄のない美しさがある。「雁」など、書生の淡い初恋という内容では…