藤田昌志 比較文化のブログ

和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。

日本のロマン主義

日本のロマン主義  日本のロマン主義は一八八九(明治二二)年ごろから一九〇四(明治三七)年ごろまで続いたが、それは前の早期写実主義が西洋文学を模範又は規準として芸術性を強調するとともに、非功利的客観主義の小説観を確立しようとしたのに対して、西洋文学の中に培われてきた「宗教的、哲学的、あるいはヒューマニスチックな思想」(三七)に目を向ける中から生まれてきたものであった。西洋文学、西洋文化の根底にキ…

現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点  何を批判するか

現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点  何を批判するか  現代中国文学と日本の現代文学の早期写実主義上の相違点として挙げておかないといけないのは、前者の鴛鴦胡蝶派(えんおうこちょうは。恋愛小説。)との関係と後者の硯友社との関係の相違である。中国の写実主義者(たとえば沈雁氷(茅盾))は〝游戏消闲〟(「遊戯消閑」)の文学である鴛鴦胡蝶派を徹底して批判、排斥した。一方、硯友社は文学の功…

坪内逍遥の二作品について     小説とは何ものか②

坪内逍遥の二作品について        小説とは何ものか②  政治小説の代表作である矢野龍溪の『経国美談』が書かれたのは1885年(明治20)。『経国美談』は大変な売れ行きで、龍溪はその印税で、二年半にわたって欧米旅行ができたほどであった。『経国美談』の流行は、それまで卑しまれていた小説の地位を引き上げたが、それは小説が庶民大衆に対する絶大な啓蒙効果を発揮しうる可能性を持っていることに人々が気付…

「胃腸」と「腸胃」

「胃腸」と「腸胃」   夏目漱石は『門』を執筆中に胃痛に襲われたが、『門』脱稿後の明治43年(1910)6月6日、長与称吉(ながよしょうきち)の「胃腸病院」(現・千代田区内幸町)を受診した。便潜血反応が陽性となり、胃潰瘍の疑いがあったので、漱石は一か月ほど長期入院し、長与称吉が主治医となった。長与称吉の弟は作家、劇作家の長与善郎である。長与称吉は10年余のドイツ留学ののち、明治26年(1893)…

曹操の「文学」概念から思うこと

曹操は、若いころ、「治世の能臣、乱世の奸雄」と評された。 曹操の「文学」概念から思うこと  「文学」とは、元来、儒教の倫理規範をいみし、載道(道を載せる)的なものであった。それを換骨奪胎して、言志(志を言う)的な要素を加えたのが、魏の曹操であった。  現代中国新文学の源流を明代、竟陵派の言志に見いだしたのが、魯迅の弟の周作人であった。周作人の『現代中国新文学の源流』は、現代中国文学史上、重要な書…

小説とはなにか

小説とはなにか  小説は西洋近代に生まれた。個人が密室で書いたものを個人が密室で読むのが小説の基本である。個人が前提である。西洋近代は産業革命による物質主義、科学主義の蔓延から社会進化論によって殖民地を作る帝国主義が吹き荒れた時代である。同時に個人主義の時代でもある。かつての共同体は崩壊し、人々は対立・闘争の社会、都市で生きていかなければならなくなった。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ。金が…

近代・グローバリズム 根は同じー内発性と外発性ー

       近代・グローバリズム 根は同じー内発性と外発性ー  近代の特徴は、「西洋の衝撃」によってアジアやアフリカの諸民族がそれを押し付けられたことである。グローバリズムも1989年の米ソ冷戦終結、1991年のソ連崩壊によって、アメリカの一人勝ちとなり、民族紛争がよみがえって浮上した中で、アメリカの拝金主義が世界を覆うようになった結果であり、ある意味、アメリカ拝金主義、アメリカニズムの世界へ…

漱石の憂鬱  欧米近代とどう折り合いをつけるか

漱石の憂鬱 欧米近代とどう折り合いをつけるか  北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』勉誠出版刊 は、文章は、です・ます調、意味は難解、しかし、中身の深い本である。「近代化」とは「均質化」であり、前近代の日本語が持っていたTPOの使い分けは、言文一致体という、誰でもどんな場面でも使える文体へと、統一されていった、それは普遍的な「人間」へと送り手と受け手の社会階層の違いが統一されていったことを意…

日中漢字同形語から思うこと

日中漢字同形語   日中漢字同形語には漢字同形同義語と漢字同形異義語の二つがある。前者は、「来」「同」で、厳密には違うところもある(たとえば中国語の“来”は英語の come  と同じような、I'm  coming    と同じ用法もある)が、それは置く。後者は中国語学習の初級でよく取り上げられる話題で、“老婆”“手紙”“怪我”などがそうである。日本語では、順に「妻、奥さん」「トイレットペーパー」…

政治的施策によって蝕まれる庶民の住む町    藤村三郎(2014.3)

 藤村三郎(2014.3)『大地震時女川町で津波に遭遇した中国人実習生 なぜ 162 人全員が助かったか』社会評論社     2011 年 3 月 11 日の東北大震災で女 川町   おながわちょう (サンマ、銀ザケの水揚げ高では全国三本の指に入る。)では町の総人口 10,014 人のうち(行方不明者を加えると)831 名が死亡した。(総人口の 8.3%に当たる。)生存確認は 9,000名強であ…

他文化の考え方の筋道をまず尊重し、理解する  宇佐美文理(2014.6)

   宇佐美文理(2014.6)『中国絵画入門』岩波書店 岩波新書1490  本書は作者の伝記や社会背景、真筆か摸本かなどの考察を捨象して「気」と「形」の記述に多くのページを割いて、「造形作品」としての中国絵画史を書くことを目的としている(はじめに ⅲ‐ⅳ)。「造形作品」として説明したいと言うのは、西洋や日本の絵画との違いを明らかにしたいからであるが、西洋や日本の概念を使って比較思想的に考えると…

日本の「台湾ラーメン」

 中国南北酒菜 味仙 矢場店「激辛台湾ラーメン」 日本の「台湾ラーメン」  今まで食べてきた中華料理を記憶の奥底から呼び覚ます。まず思い出すのは、50年ほど前に、母親が作ってくれた台湾即席ラーメンの味である。スープが非常においしかったのを覚えている。父の知人からもらったと言っていた。台湾ラーメンについては、14年前に台北に行ったときに食べた、大衆食堂のがおいしかった。少しスープが豚臭かったが、澄…

中国料理  中華料理  支那料理  町中華  東坡肉(トンポーロー)

    中国料理  中華料理  支那料理  町中華  今は中国料理が一般的で、中華料理とは言わないだろう。中華料理は「中華」が「世界の真ん中の華(はな)」を連想させるので、「何が真ん中の華だ」と、1911年の「中華民国」を国として認めたくなかった日本の「小中華主義」意識がよみがえり、むらむらと頭をもたげ、「中華民国」とは呼んでやらない、昔からの呼び名「支那」で十分だという記憶を重んじるというとこ…

「魚咬羊」「羊方蔵魚」 「魚汁羊肉」 「洛陽水席」 南條竹則(2013.10)

                                南條 竹則 南條竹則(2013.10)『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』筑摩書房 ちくま文庫      南條竹則氏の(2009.2)『中華美味紀行』新潮社 新潮新書 201 「泥鰌地獄の謎」(pp.7-36)では、泥鰌と豆腐を煮ると、水が熱くなる、そして泥鰌が冷たい豆腐の中に潜り込んで「泥鰌豆腐」ができあがるという証言が日本でも中国…

政治より文化を重んじた内藤湖南   内藤湖南(2013.10)『支那論』

                                内藤 湖南  内藤湖南(2013.10)『支那論』文藝春秋 文春学藝ライブラリー   本書は内藤湖南著『支那論』(1914 年)と『新支那論』(1924 年)を収めたもので、新字体・新仮名遣いに改める等読みやすくした文庫本である。 「解説」(与那覇潤氏)は「戦後」の、湖南の「転向」への批判の「通例」を次のようにまとめている。「いわく…

  漱石と藤村操

        藤村  操                夏目 漱石 悠々たる哉天壌 遼々たる哉古今  五尺の小躯を以て此大を測らんとす  ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを価するものぞ  万有の真相は唯一言にして悉す  曰く不可解  我れ此恨みを懐いて煩悶終に死を決するに至る  既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし  はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを  藤村操の辞…

本家  夏目漱石『吾輩は猫である』から考える

    本家  夏目漱石『吾輩は猫である』  横山悠太(2014.7)『吾輩ハ猫ニナル』講談社 について昨日、紹介したが、『吾輩ハ猫ニナル』というタイトルは著者の、「猫」のように第三者の視点から日本と中国を自由に見たいという願望の表れであろう。最近は日中ハーフの若者も結構いて、本人は日本と中国の間で悩むようである。しかし、二者択一的でなく、両文化を対等にみられる位置にいると考えたらいい。国家とい…

 日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説  横山悠太(2014.7)

   横山悠太(2014.7)『吾輩ハ猫ニナル』講談社     序に「日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説を書く」(p.7)とある。「漢語」(日本語の漢字の音の複合からなる熟語)とは異なる、中国語の単語に日本語の和語のルビを振って日本語の文章を書くという新しい文体で全篇成っている。たとえば次のような文体である。「自分はその日、長椅 ベンチ に坐って、方便店 コンビニ で買った牛肉片干 ビーフジ…

「日本国夷人物茂卿」と署名した荻生徂徠 佐藤雅美(2014.4)

   佐藤雅美(2014.4)『知の巨人 荻生徂徠伝』角川書店   荻生徂徠の伝記小説である。荻生徂徠は『徂徠豆腐』という講談、落語、浪花節で有名である。「古今を通じて学者が、それも大学者が、講談はともかく落語や浪花節の主人公として語られた例は、徂徠以外にない。」(p.44)とは佐藤氏の徂徠への賛辞である。  従 頭直下 しょうとうちょっか―――書を頭からまっすぐ、返り点や捨て仮名に頼らずに読む…

漢字 カタカナ ひらかな から考える

漢字 カタカナ ひらかな から考える   真名(まな)と仮名(かな)。テレビタレントの双子姉妹ではない。漢字のことを 真名(まな)と呼び、かなのことを仮名(かな)と呼んだ。中国の文化を本流とし、中華、中心とする考えに基づく。「本当の名」と「仮の、当座の名」。悲しい。日本人の中には常に、そうした引け目があった。しかし、同時に小中華主義もあった。663年、白村江の戦では、圧倒的不利の中、唐の要求を拒…